譲れぬモノ
〜He is mine〜





☆☆☆2、策略☆☆☆



「――つまりx軸上にある点が……」

 眼鏡をかけたエリートっぽい顔の教師が、黒板に前もって書いた座標に白いチョークでカツカツと点と線を書き込んだ。
比較的真面目な生徒達は、それを几帳面にノートに写し、さほど授業に興味がない生徒達は、それに何の興味も示すことなく居眠りに没頭中。
 希美は、隣でうとうとと…今まさに眠りに入ろうとしている彼に、そっと耳打ちした。

「ねぇ、工藤君……あのね…………」

 眠そうな顔で目を擦りながら、彼は「ん、分かった」とだけ返事した。
そのまま眠りについた彼を見て、希美はゆっくりと微笑んだ。

(作戦その1、準備完了っ♪)

 そして、何事もなかったかのように、彼女は黒板に書いてあるそれらをノートに写した。
蘭は、何も知らずに真面目な顔で黒板の文字をノートに写しながら、その座標の隣に書かれている問題を解いていた。

 チャイムが鳴り、授業が終わってすぐの事。希美は、新一に「待ってるからね」と声をかけ、教室を出た。
そして、そんな事も知らずに蘭が新一に声をかけようと席を立つ。

「ねぇ、新一。この問題なんだけどね……」

 ノートを広げ、新一の机までやって来た蘭だが、新一は仕方なく笑みを浮かべた。
一瞬その意味が判らず首を傾げた蘭だが、その様子を見上げながら立ち上がり、言った。

「悪い、蘭。俺ちょっと用事あるから、後にしてくれるか?」
「え? 用事って……」

 見たところ、これから学校を早退して事件の元に向かうようには見えないし。
具合が悪くて保健室に行こうとしてるようにも見えないし。
トイレという考えも頭に浮かんだが、それならそう言うだろう。

「また休んでた間の穴埋め?」
「あ、ああ。そんな所だよ」

 不自然に笑み、右手の人差し指で、頬をコリ……と掻く。
蘭は呆れ顔をして、ジト目で彼を見た。

「全く、通常の授業に、休んでた分の穴埋めのプリントに、事件の捜査……ちょっとは休まないと体壊しても知らないわよ。」

 呆れながらも自分を気遣ってくる彼女に、有り難さを感じながらも、苦笑を浮かべて応える。

「大丈夫だって。授業中ちゃんと寝てるから」
「も〜っ! あんたねぇ……」

 折角復学してきたというのに、彼にとっては授業は寝るためのもの。
寝ていても追いつけるのはすごい事ではあるけれど、真面目な彼女としては呆れるより他にない。

そんな蘭をかわした彼は教室を出て、小さく溜め息をつきながらその場所へ向かった。
蘭を上手く誤魔化したものの、彼の用事というのは無論休んでいた間の穴埋めなどではない。
ただとっさに話を合わせたのは、彼としては別に嘘をつこうと思ったわけではなく、無論騙そうと思ったわけでもなかった。
ただ、自分もよく分かっていない中で、説明するのが面倒くさかっただけ。
それに、別に疚しい事があるわけでないとしても、あまり蘭に知られたい内容でもない。

 女の子と、二人きりで込み入った話をするなんて。



 屋上には、二人。
風にその綺麗な黒髪をなびかせて手すりにもたれる少女と、
その少女の話をじっと真面目に聞く、今現在のこの学校で恐らく最も有名であろう少年。

「だから、ね。工藤君……私の力になってくれないかな?」

 色々と言葉を交わした後、彼に向かって手を合わせ、上目遣いに彼の様子を窺う彼女。
一瞬の間を置いて、「でも…」と視線を逸らし、今度は物憂げに呟く。

「工藤君、なんか忙しいみたいだから……無理なら仕方ないんだけど」

 その様子は、演技の域を越えている。
新一は「あ、いや」と小さく呟き、応えた。

「もちろん、俺でよければ力になるよ。何かあったらいつでも言えよ、飯島」

 優しく、頼りになる笑顔を見せた彼に、希美の心臓が大きくどくん……と脈打った。

「本当!? ありがとう」

 希美は、出来る限りの綺麗な微笑みを返した。
嬉しそうに、明るい顔で。なるべく自然を装って。

「あ、ねぇ。それからさ……私の事は希美でいいよ。前の学校で皆から『希美』って呼ばれてて、名字で呼ばれると何かピンと来なくて。だって、ほら。私アメリカに行ってたから。向こうでは普通名前で呼び合うでしょ」
「ああ、そっか。そう言えばアメリカから来たんだよな」
「うん。だから……出来れば工藤君の事も名前で呼びたいんだけど……何か『工藤君』って仰々しくてさ。仲良くなるんだし『新一』って呼ぶのは慣れ慣れしいかな?」

 苦笑いを浮かべて言った希美に、新一は慌てて首を振った。

「いいよ新一で。これからもよろしくな、希美」
「うん、ありがとう。新一」

 そして新一は希美と約束を交わした。
 何があっても、絶対にその会話の内容は誰にも話さない、と。
そんな会話がある事なんか全く知らぬ蘭が、この後苦しむ事になるとは知らずに。



 チャイムが鳴り、二人は教室に戻った。
がちゃがちゃと慌てて席につく人達に紛れながらも、新一と希美は自分達の席につく。
全く自然な行動だが、二人一緒に教室に入った事に、蘭は少なからず動揺した。
希美はそんな蘭の方に目をやって、心の奥でほくそ笑んだ。

(見てなさい、工藤君はもうすぐ私のものよ)

 その後の授業時間、彼女は隣の席である特権を利用して、新一と話していた。
ひそひそと、ざわめく教室の中で声が周りには聞こえないように。
不思議と、授業となると寝てばかりいた新一がその時は楽しそうに話していた。
それは、ひとえに希美の巧みな話のテクニックが原因なのだが。
 蘭としては何を話しているのか、気が気ではない。
加えて先ほど一緒に帰ってきた二人の事が気になって、いつも通り授業に集中する事が出来なかった。

「それで? その後どうなったんだ?」
「あのね、それでお父さんが……」

 希美は、ノートを写しながら新一に話し掛ける。
新一は授業そっちのけで話に夢中。

「へぇ……面白いなお前の父さん」
「でしょ? 私も凄い可笑しくて。思わず笑っちゃった。そしたらね……」

 新一のツボをピンポイントで抑える話の内容。これも、希美流男ゲットのテクニックだ。
幼い頃から、海外に転勤の多い父親に連れられて、あちらこちらを転々としていた彼女だからこそ、その度にたくさんの雑学も身につけてきた。
話し上手で知識も豊富な両親に育てられた所為か、彼女自身も話がとても上手くなった。
そして、新一にとってのピンポイントな話題がホームズやサッカー、そして探偵の本能をくすぐるトリック、暗号などの事件関係である事は既に希美の頭に入っていた。
誰の相手をしても、話を聞く側が楽しく聞ける話を提供するのは、彼女のとても素晴らしい才能の一つだが。
どうしてそれを男作りにしか活用出来ないのかは不思議である。

「――じゃあ、ここ宿題にするから、次の時間までにやってくるように」

そう言って教室から出て行く先生に、生徒達は、一気にだらりと力を抜いた。
伸びをしていたり、未だ写し切れてない黒板の文字を必死で書き写していたり、
寝ている者は、友達に起こされたりそのまま寝ていたり。

「授業終わったみたいね」
「だな。また話聞かせてくれよ。すげー面白かった」
「ふふ、ありがと。新一も、今度私に色々話してね」

 楽しそうに話す新一と希美。
蘭は悲しげな顔でそんな二人を見つめ、一回小さく深呼吸して二人の元へ歩み寄った。

「希美ちゃんと新一、凄い楽しそうだったね。何話してたの?」

 勇気を出して聞いてみる。すると、新一は嬉しそうに答えた。

「こいつがおかしい話すっからよ、授業そっちのけで聞いてたんだ」
「へ、へぇ……どんな話?」

 新一の珍しい反応に、ズキン、と心が痛む。

「気になる? 蘭ちゃん」

蘭の質問に答えたのは、希美だった。
くすくす笑いを浮かべつつ、明るい顔で、何事も無かったかのように答える。

「私のお母さんって元刑事だったのよ。結構腕のいい刑事だったらしいんだけど、お父さんと結婚して主婦になってね。でも、事件見るとほっとけないらしいのよね〜。刑事だった頃のクセで。私外国色々回ってたからさ、結構色々な事件に遭遇したりして。 そのたびにお母さんったら首突っ込んで。私も何だか事件って聞くと放っておけなくなってね。だから、新一と妙に話あっちゃって。」
「希美も相当色んな事件に巻き込まれたらしくてよ……だからその事件の話色々してくれてたんだけど。……あ、悪い。蘭は、外国で起きた事件の話なんか興味ねえよな」

 苦笑しつつ言った彼。蘭はその二人の会話に、引っ掛かりを感じた。
ドクン……と、彼女の胸が締め付けられる。

今、確かに彼女は彼を『新一』と言った。
今、確かに彼は彼女を『希美』と呼んだ。
事件の事で話があうというのも、自分にはないところだが……二人はいつの間に名前で呼び合うようになったのだろうという疑問が大きく胸に刺さる。
転校して二日目だというのに、こんなに仲良くなるなんて。
胸が締め付けられるようで、降ろしていた手を、ぎゅっときつく握り締めた。

「……蘭? どうした?」
「え?」

 突然声をかけられて、蘭はびくりと肩を震わせた。
見ると新一が心配そうに自分を見つめている。

「いや、何か元気ねぇからよ。何かあったか?」
「う、ううん。何にも」

 慌てて答えた蘭に、新一はなおも心配そうな顔で言った。

「そっか? 何かあったら俺にいえよ?」
「そうそう。相談あったら私も何でも聞くからさ」

 希美もまた優しい友人を装って、新一に付け加えるように、柔らかに微笑んだ。
その微笑みの裏に鬼が住み着いているなどと言う事は全く知らず、困惑する蘭に、新一も笑顔で言った。

「希美もこう言ってるしよ、無理はすんなよ」
「う、うん……」

 誰のせいで、元気がないと思っているのやら。そんな不満が蘭の心を微かによぎった。
そうやって、少しずつ蘭と新一の間にすれ違いが生じていったのだ。






〜第三話に続く〜










作者あとがきっ!!!

4869番、倖希様のリクで…
「新一と蘭ちゃんの間に割って入ろうとした女の子の話」

第2話ですっ!
の、希美ちゃんって……(−−;
性格悪ぅっ!!!この腹黒さが…^^;
二重人格?ジキル博士とハイド氏?
そして新一よ、何故鈍いっ!!気づけ、彼女のえげつなさに!!
さて、希美ちゃんが新一に言った事が分かるのは、もっとずっと後。
とりあえず、今は希美ちゃんの二重人格っぷりと、新一の困惑ぷりをお楽しみ下さい(笑)