「待てよ!怪盗キッド!!」
声を張り上げて、今にも空に飛び立とうとしている彼を呼び止めると、
彼は真顔で振り向いた。
その手の中には、直径がまるでソフトボール程の大きさに見える綺麗な宝石が輝いていた。
ふっと笑った彼は、少年に告げた。
「おめーも、元に戻りてぇんだろ?」
「……なにっ!?」
静かな言葉に、図星を感じてうろたえた。
「この宝石は、大本命だからな。もしこれがそうだとしたら……」
そこで、彼の言葉は一旦途切れた。
何か考え込むように、目の前の少年をじっと見つめる。
「おめーに、返してやるよ。おめーを付けねらう連中の足元を切り崩す……
大きな手がかりとしてな。」
そう告げると、彼はふわりと夜の闇へと消えて行った。
第一話:怪盗の夜明け
きらり、と何かが闇に光る。
綺麗な月明かりの夜だった。
近くの公園の大時計は、深夜の一時をぴったり指していた。
高層ビルの屋上……
普段は事故や自殺防止のため、屋上へ行くための戸には鍵が掛けられ、厳重に管理されている。
今こんな時刻、それを管理する立場の人間が、まさかそんな場所に立っている筈はない。
そこに来るための手は一つ。空から飛んで来て、そこに着地する位しかないその場所に、一人の男が、立っていた。
彼は夜の空の世界を支配する大きな丸い月に向けて高く腕を伸ばし、それをじっと見つめながらゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
全身白い衣装に身を包んだ彼は、肩につけたその白いマントを、風に揺らしていた。
「やっと、見つけた…………」
呟いた声は、闇に溶けた。
大切にそれを握り締め、懐の中にしまった彼は、とんっと地面を蹴って夜空へ帰って行った。
☆☆☆
「コナン君!コナン君!!!」
「何?どうしたの……蘭姉ちゃん、大きな声だして。」
朝っぱらから、随分慌てた様子で騒々しく部屋に入り込んできた蘭の声に起こされて、
コナンは眠そうに目を擦りながら、むくりと体を起こした。
時刻はまだ6時。そして、本日は学校もなく、用事もこれと言ってない。
昨日遅くまで小説を読んでいた身としては、せめてもう少し寝ていたかった。
しかし、蘭はそんなコナンにお構いなしでずいっと彼の目の前に、その白い封筒を差し出した。
”江戸川コナン様”宛の手紙である。
切手も住所もどこにも見当たらない、という事は、それは直接郵便受けに入れられたもの。
「誰から?」と尋ねると、蘭はくるり、とその封筒を裏返した。
…………その送り主というのが。
「キッドよ!怪盗キッド!!郵便受けの中に入ってたの!
キッドから、コナン君への挑戦状よ。」
そう。その封筒の裏には、シンプルに”KID”の三文字が。
「ふぅん……って、はぁ?僕宛て!?」
普通に返事をしようとして、その今までで初めてであろう出来事に、驚いて、声を上げた。
蘭は、うん、と頷く。
「間違いなく、江戸川コナン様って書いてあるわよ。
コナン君、ほら。キッドと相性いいじゃない。
だから、コナン君に予告状送って来たんじゃないかなぁって。
勝手に開けるわけに行かないから、もって来たの。
もし予告状だったら、お父さんにも見せてあげて?」
「う、うん……かまわないけど。」
そういいながら、封を切ったコナンは、中にある手紙を見て、みるみると顔つきを、探偵モードのそれに変えた。
そんな表情の変化を眺めながら、蘭もかすかに真剣な顔つきになる。
「何が書いてあったの?」
「うん……暗号。でも、これ……」
尋ねた蘭の言葉に、半分の答えを返した。
じっと、真剣にその文面を見つめるコナンを、蘭は不思議そうに見つめた。
「ごめんね、蘭姉ちゃん。僕、着替えたらちょっと出てくるよ。」
「え?コナン君!?」
しばらくの時間を置いて、そう呟いたコナンを、蘭は驚いた顔で見つめた。
「こんな朝早くから?まさか、暗号が解けたの?」
「……まさか。」
蘭の言葉に、一瞬驚いたような顔で反応したコナンは、1〜2秒の間をおいて、笑顔で答えた。
「食事は?」
「うん、食べてく。すぐ用意できる?」
「出来るけど……」
小学一年生にはとても見えないこの行動力には、いつも驚かされる。
蘭は戸惑いがちにそう答えて、台所へ向かった。
部屋に残ったコナンは、顔を洗い歯を磨くべく一旦洗面所まで行き、再び部屋に戻ってきて、
動きやすい服をタンスから取り出した。
着替えながら、ベッドの上に置いたその”暗号”を見つめる。
”小さな名探偵へのLast
Presentだ。
酒に溺れしカラスを全て捕獲したくば、あの日初めて出会った場所に来られたし。
神秘の薬への場所へと誘うブルーティアーズと共に、その小さな姿をいただきに参上する。
怪盗KID”
確かに、何も知らない人が読めば謎めいて聞こえるが、これは暗号などではない。
そして、予告状などでもない。
わざわざ”江戸川コナン様”宛で送って来たのも、最初の冒頭も、
全て『江戸川コナン』にしか通じないものという事を強調する為であったのだろう。
じっと眺めて、彼はそれをポケットに入れた。
「蘭姉ちゃん、じゃあ……行ってきます。」
「う、うん。」
食事を食べ終えて、早速家を出た。
「キッドの奴、一体どこまで……」
走りながら、コナンは呟いた。
頭の中で、先ほどの"暗号"の文面を反復する。
何らかの、接点があるのかも知れないと、思った事もある。
自分のずっと追ってきたモノと、彼が手に入れたい何か。
先日、キッドを取り逃がした時、彼は確かに、"コナン"と"組織"の関係を、全て知っていたようだった。
コナンは、走りながら、頭の中に思考をめぐらせた。
あの暗号めいた文章は、ただ単に蘭やおっちゃんが間違えて見た時にも意味が伝わらないように、わざとあんな書き方をしたんだ。
つまり、ひねって読まずに、あれは俺が分かる情報をありのままに読めば暗号でも何でもない。
酒に溺れしカラスは、組織の奴らの事……
あの日初めて会った場所というのは、
あのブラックスターの時、奴と初めて会った杯戸シティホテルの屋上。
神秘の薬ってのは、APTX4869……つまり、奴らの場所。
そして………
”その小さな姿をいただきに参上する”
ふっと、笑みが零れた。
嬉しいとか、簡単な感情ではないと思う。
複雑な感情が、"笑み"という形で、表情に出たのだ。
杯戸シティホテルの前まで来て、どくんどくん、と高鳴る鼓動を、必死で抑えた。
緊張か、ようやく目の前まで迫る”その時”への恐怖か喜びか。
小さく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
屋上まで登るエレベーターが、高くなるごとに鼓動も加速した。
組織関係の事となると、すぐに熱くなってしまうのが悪い癖だというのは承知だが、
やはりどうしても、このどうしようもない高揚感は抑えきれない。
がちゃり。
風のせいか僅かに重い戸を開け、屋上に一歩足を踏み入れた。
ぴん、と神経を研ぎ澄まし、ゆっくりと右を見て左を見て。
「遅かったじゃねぇか、名探偵……」
頭上から、声が聞こえた。
ふわり、とマントが風に揺らされて、視界を白く覆う。
あの日現れた同じ場所……自分が、今出てきた戸の真上に、彼は居た。
身軽な動作で、下へと舞い降り、ふっとその口元に不適な笑みを浮かべる。
「悪ぃな……こっちも色々都合があるんでね。」
コナンもそう言ってふっと不適に笑みを浮かべ、目の前に現れた彼をじっと見つめた。
真っ白な衣装を身に纏った、その宿敵を…………
白き怪盗は、ただただその視線を受けながら、不適な笑みを崩す事無く、そこに立っていた。