道しるべ…





何よりも、最も怖いのは……

大切な人を失う事。

何よりも、最も辛いのは……

永遠の、決別……

願うものはただただ……大切な人の、幸せな未来。





第十話⇒別れの朝









ドンドォンっ!!
パリン!!!






「…………!!!」

上の、先ほどまで自分と彼が居た部屋から聞こえてきた銃声と共に、
割れたガラスを見て、彼女は青ざめた。

「ホームズ君っ!!?」

すぐに、彼も降りてくるものだと思っていたのに、全くその気配はない。
そして、今の銃声……
彼女の胸を、不安と恐怖が支配した。
震える彼女の瞳に涙が滲み、ホテルから逃げる方向に向かっていた足は、
再びホテルへと向きを変えた。


 やだ……もう二度と失いたくないって、決めたのに……


 今度こそ、私が守るんだって、決めたのに……


 また、私の前から姿を消すの!?ねぇ!!!



「………しんっ!!!」

叫びかけた彼女だが、その目に映った光景に、驚き、目を丸くした。
その、先ほどまで自分達の部屋だった場所のベランダから、彼は身軽に飛び降りてきた。

「何やってるんだっ!さっさと逃げろって言っただろ!!?」

敬語で気遣わしげに話すいつもと違うその口調に、更に驚いた。
彼のその顔は、見たことの無い怒気を帯びていた。

「……怒ってる?」
「いいから、逃げるぞ!!催涙スプレー思い切り食らわせたから、部屋の人たちは追って来れない筈だけど、
もしかしたら、近くに仲間が潜んでいるかも知れないから!!」

その怒りが、彼自身の為のものではなく、逃げなかった彼女への怒りであるという事は、
何も言われなくても伝わった。
彼は胡蝶の肩を抱いて、庇うようにそこから逃げた。








凄いスピードで走る彼に守られながら、
やっと安心できるだろう場所までの道のりを、二人で必死で走った。

追われて、走って、怖いはずなのに。
彼と触れあっている部分から、彼のぬくもりが伝わってきて……

不思議と、気持ちは落ち着いていた。
自然と、心から安心できた。







「ここまで来れば、一先ずは……」

肩を上下に大きく揺らしながら、息を切らしてそう呟いたホームズは、
胡蝶の方をきっと見つめた。

「逃げて欲しいって言ったら、ちゃんと逃げてくれないと困る!」
「ご、ごめんなさ……」
「それで?怪我は!!?」

彼の剣幕に圧されて謝ろうとした彼女の言葉を遮って、
彼は彼女の体を上から下まで観察した。

「どこも平気。……それよりホームズ君の方こそ。」

聞こえた銃声を思い出し、急に不安になって尋ねると、「俺は平気ですよ。」と答えが返って来た。
それを聞いてほっとしたのも束の間、突然強い力で抱きしめられて、
胡蝶の心臓は、どくんと大きな音を立てた。

「でも、よかった……君が無事で。」

ぐっと、抱きしめられて、彼の鼓動と温かさが伝わってきた。
思いもよらない彼の行動に、思考回路が遮断される。

「ほーむず、君?」
「……あ、いや。」

彼の名を口にした途端、彼が我に帰ったのか、真っ赤な顔で手を離した。
そっぽを向いているその横顔とその耳が、真っ赤に染まっていた。
人の事は言えない。胡蝶自身の顔も、赤く染まっているのだから。

「……ねぇ、今のどういう風にとればいい?」

その横顔に、思わず尋ねると、彼は横を向いたまま、思いつめた顔で答えた。

「胡蝶さん、俺……よく分からないけれど、
君がどこか怪我させられる事考えたら、凄く怖くて、何だか凄く腹が立ったんだ。」
「……うん。」
「俺の今ある記憶の殆どは、君と過ごした事だけで……
もしかしたら、俺は君の事が…………」

その先に続く言葉を、彼はそれ以上言おうとしなかった。
けれど、それを聞かずとも、胡蝶にははっきりと伝わっていた。
彼の気持ちと、彼が言おうとしたこと。
目を見開き、ずっと見つめている彼の顔は、真っ赤だったから。
彼をそのまま抱きしめたくなって、けれど彼女はぐっと両手を握って堪えた。

「心配してくれて、ありがとう……
でもね、それを防ぐために一人で居なくならないで。置いてかれる気持ちも分かって。」

凄く怖かったのは、彼だけではない。
先ほどの銃声が聞こえた瞬間、まさか彼が撃たれたのではと、恐怖が胸を支配した。
彼は驚いた顔で彼女を見つめ、そして小さく「ごめん」と謝った。






「どうしよっか。今日は野宿かなぁ?」

苦笑しながら話すと、彼はふっと笑って答えた。

「大丈夫。手は打ってあるから。」

そう言って、少し廃れたイメージの旅館に入っていった。
中から、女将さんらしき人が現れる。

「あの、昼に予約入れた黒部ですけど。」
「あぁ、黒部様2名様ですね。お待ちしておりました。」

にこやかに答えた女性を見て、胡蝶はぽかんとした顔でホームズを見た。

「昼って?」

小声で尋ねると、彼も声を抑えて答えた。

「いや、あっちに無事泊まれたらいいけど、途中から妙な視線感じてたから、念のため。」
「え?じゃああの女装とかは全部!?」
「そ。奴らを欺くためのカムフラージュ。こっちでは兄妹って設定のつもりだったから、
 向こうではそれとは別のものを演じる必要があったんだ。
 かつ、奴らの存在に気付いてないフリして、襲いやすくしてやったんですよ。」

完全に、追っ手を撒くために、と言ってウインクをした彼を、
彼女は驚いた顔で見つめた。
つまり、彼は女装をすると言い出した時には既にこの旅館にも予約を入れてあって、
女装をして宿に入る間、ずっと追ってくる視線を感じながら、
チェックインして、部屋に行って……変装解いて襲われるのを待って……

「あの、お客様?お部屋ご案内させていただいてよろしいでしょうか?」

二人、ぼそぼそと話しているのを不審に感じたのか、首をかしげながら、
その女将は遠慮がちな様子で話しかけた。

「あ、すみません。いいですよ。」
「では、ご案内いたします。」

そう言ってにっこり笑った女将の後を、二人はついて行った。
案内された部屋は、和風の落ち着いた様子であった。
戸惑いながら、案内されるがまま、その部屋に入る。

「それでは、もし何か御座いましたらご遠慮なくお呼びくださいませ。
失礼いたします。」

そう言って頭を下げた女将の気配がなくなるのを確認してから、
胡蝶はホームズに言った。

「馬鹿っ!だったら早くそう言ってよ。」
「すみません。言ったら止められると思って。」

苦笑しつつ、彼は答えた。
その答えに、はぁ、とため息一つ。

「じゃあ、最初から私逃がして一人で銃持った人たちと闘うように仕向けてたの?」
「まぁ……俺は一応男ですから。あなたの事は守らないと。」
「……馬鹿っ。」

彼女の目に段々と涙が滲む様子に、彼は慌てて、もう一度謝った。






深夜……既に寝静まった彼女を見つめながら、彼はかばんからノートPCを取り出した。
彼女が起きないように、慎重にそれを起動させ、インターネットとFDに入ったデータを立ち上げた。
かしゃかしゃと、静かにキーボードを叩きながら、彼は画面をじっと見つめていた。
ずっとその作業を進めていた彼は、少しずつ闇を映していた空が明るくなってくる時間になって、ようやくPCの電源を落とし、隣で寝る彼女を起こさないように、静かにそれをたたんだ。

「……ごめん。」

眠る彼女の顔を切ない瞳で見つめた彼は、ぽつりと呟いた。
”一人で居なくならないで、置いていかれる気持ちを分かって……”
あの時、その言葉が酷く胸に突き刺さった。
そして、今もまた。

「ごめん。君の事、また悲しませる事になる……」

呟いて、彼女の髪をそっと撫でた。
壁にかかった時計の短針は、4時を指していた。
明け方……

「ゆっくり休んで、疲れを癒して。俺が、怖い事全部終らせてくるから。
 でも、絶対に帰ってくるから。生きて、君の前に。」

目を細めて暫く彼女を見つめていた彼は、やがてゆっくり立ち上がり、
音を立てないように気を配りながら、部屋を出た。



「さよなら、胡蝶さん……。」





女装の話を奴らを欺くためのカムフラージュと言ったけれども……
実際は全てがカムフラージュだった。
服部平次の家を出た時から起きた全ての事が……
奴らを欺き、彼女を欺くための……
組織の事は、色々と調べて知っていたから、まだ残っている奴らの大本のアジトについても知っていた。
けれど、前まではずっとあの穏やかな世界の中で、ゆっくり生きていたかった。
記憶がない自分にとっては、気がついてから組織に居たほんの一年足らずの時間が全てで。
胡蝶さんが居て、一緒に居て懐かしい服部がいて、優しい彼の両親が居て……
クールだけど、付き合ってみると暖かさが見え隠れする灰原さんが居て。
そんな暖かくて幸せで、穏やかな世界を、少しでも長く大切にしたかった。
あそこに居れば、それは恐らくもっと長い間、保たれていただろう……
自分の記憶にある人生の中で、最も暖かで短かった日々……

けれど。

自分の決意を固めたのは、服部の父、平蔵の言葉だった。






「あの組織に関する……昔話や。」
「昔、話……ですか?」

尋ね返すと、「そうや。」と返事が返って来た。

「又聞きになってしもて申し訳ないんやけどな、君には話しておかなあかん事やから。」
「はい……組織の事なら、何でも教えて下さい!」

正直、聞くのが怖い気持ちもあった。
もしかしたら、その昔話には自分も関わっているのではなかろうか。
自分が、記憶を失う前、どんな人間だったのだろうか、不安で。
話を聞いたら、何かが壊れる気がして。
そんな気持ちもあったけれど、実際聞いた話は、ずっと想像を超えたものだった。

「あの灰原っちゅう娘と平次、やけどな。昔大切な友人がおったんや。」
「……はい?」

聞き返すと、「ええから。」と彼は話を繋げた。

「そんで、三人である組織を追ってたんや。
 我々警察には全く何の相談もせんと、三人でな。」

あの灰原って子供までも?と不思議に思ったのだが、
あのクールな雰囲気に、少しだけ納得する。

「それが、俺が居た……?」
「そうや。大きな組織やったから、中々尻尾がつかめなかったらしいんやけどな、
 ある時、組織は彼の彼女を人質にとって、彼をおびき寄せよってな。」

人質……
その言葉に、微かに鼓動が早くなった気がした。
何故だかは分からないけれど、無性に。

「その彼女を取り返すために、当然彼は必死になっとった。
 ただ、元々彼が追っていた組織に関わった平次を巻き込みたくないっちゅうんで、
 平次を監禁して、自分ひとりで、乗り込もうとした。」
「…………。」

言葉を聞く度、心臓の鼓動が早まっていく。
どうしてだかは分からないけれど、無性にズキズキと胸が痛んだ。

「結果、二人はそれからずっと、帰って来ぉへんかったんや。」

冗談だと受け流したいほど、その話は凄く辛かった。
まるで、自分が経験したことのように、色々な感情が押し寄せてきて、胸を圧迫した。
けれど、それを話す顔があまりに真剣なものだったから……
怖くて、もう止めて欲しいなんて、言えるはずもなく。
いや、言えたとしても、知りたい気持ちも大きくて、言わなかったと思うけれど。

「その事は、平次と、あの子にとって悔しくて引きずる事やったらしかったんやけど。
その彼女にも、親友が居ったんや。平次の幼馴染の和葉ちゃんっちゅう子がな。
その子も、助けられなかったっちゅう事を酷く悔やんで、ずっと泣いとった。
けど、皆いつか帰ってくるっちゅう事、信じて待っとったんや。この一年間。」

一年……どんな想いで待っていたんだろうと、考えた。
多分、辛くて、苦しかった。
それは、言葉では言い表せないほど……

「もう、そんな想いをする事は、誰にもあって欲しくはないんや。平次達にも、君達にも。
 辛い話やったかも知れへんけど、これがあの組織の真実や。」






あの言葉は、単純に伝えたかったのだろうか?
何があっても死ぬな、と。
けれど、あの話を聞いた時、心から思った。
その穏やかな空間に居続けたいと思ってばかりでは、結局二の舞を踏んでしまう、と。
その話で居なくなった彼と彼女を、自分と胡蝶さんに入れ替えて考えた。
そして、思った。
胡蝶さんの事は、何があっても守りたいと。

その為には、何があっても組織に先を越されるわけには行かない。
組織が動き出してからでは遅いんだ。
その時の彼とは違う。自分は、組織よりも先に動ける情報を、既に持っているのに。
ゆっくりしていたら、二の舞どころか、更に酷い事態になるかも知れないと思った。
胡蝶さんと自分だけではなく、あの暖かい家族も、全て道連れにして。

あの組織相手に先手を打たれる事はあってはならない。
大切なのは、こちらから先手を打って、主導権を握ること。
そして、その脅威を完全に断った後で、手に入れるべき穏やかな幸せ。






自分の記憶は、組織の中にある。
そして、それを取り戻すためにも……






ふっと、来た道を振り返った。
そこに眠る、彼女の事を、頭に浮かべた。






「また、全てが終ったら、きっと今度は完全な俺として……。」






また再会する日には、色んな事を彼女に聞いてみよう。
あの、夢に出てきた彼女は、誰だったのか……
今までずっと、一体何を俺に隠してきたのか……
彼女はきっと、俺がずっと待っていて、俺をずっと待っていた……
大切な、何かを持っている筈だから。


















〜第11話へ続く〜













作者あとがきv

え〜、今回もお読みいただき、ありがとうございますv
道しるべ…第十話という事で。
十話ですよ!何か、本人話の進みの割に随分行ったなぁ、と思っておりますが^^;
九話十話は、結構短期間での更新が出来たので、よかったです^^
でも、よかったぁ……何とかここまで進んでくれて。
胡蝶さんの扱い凄く難しいんですよ><;
それは、彼女の設定的な理由があるからなんだけれど。
後々、ブーイングが来ないかしら^^;

今回、少し1年前の事に触れましたね。
平蔵さんの口からだけど……恐ろしく難しかったよ、平蔵さんの口調^^;
違和感あったら本当にごめんなさい〜(涙)
ね、この間ホテルで一夜過ごさなくてよかったでしょ?
話をこっちに持ってくるって決めた時に、
この間のお話の大部分が決定したって感じなのですが^^

えっと、このお話……
何だかこの途中まで見た感じだと、色々と問題がありそうな気もしないではないですが。
一言、私からはこれしか言えません。
読者様。お願いですから、私を信じて^^;
ストーリー的に、じゃなくて根本的な問題を感じている方居ると思いますが、
最後まで見れば、それは解消される筈ですからっ><;
次回も、どうぞご覧頂けると嬉しいですv

それでは、今回もお読みいただきまして、ありがとうございますっvv
前回同様、よろしければ感想などいつでもお待ちしております〜^^
(ただ、あまりに核心に触れた予想が入っている感想は、
掲示板の場合は白文字で、メールなら全然OKな方向でお願い致します<笑)

H18.5.21.管理人@朧月。