五月四日。
言わずもがな、工藤新一の十八回目に訪れる誕生日だ。コナン自身、例年通り全くそれは頭にはなかった。普段から自分関係の記念日に疎い事もあり、飛沫の転校でそれ所ではなかったのだ。
飛沫がやってきてから三日目にもなるこの頃には、彼女はすっかり探偵団と打ち解けてしまった。ただ、時折見せる不審な行動が、コナンや哀の警戒を更に深めさせた。
(今んとこ実害はねーかも知れねーが、灰原の話が本当なら油断は出来ねぇ。あのガキが、ジンの娘って言うならな……)
コナンは真剣な眼差しで、何もない机の一点をじっと見つめ、自分の考えに浸った。
「……ン君? コナン君??」
少し焦れったそうな、トーンが上がった声が、ようやくコナンの耳に届く。我に返ったコナンが顔を上げると、机の前に立っていた彼女は、きょとんとコナンを見つめていた。
「歩美ちゃん……」
呟き、先程まで考えていた事を、再び反復させた。
妹弟のような感覚の探偵団達を、危険な目にあわせるわけには行かない。絶対に、守ってみせると密かに誓いを立てた。
「コ、コナン君? どうしたの、考え事?」
怪訝な表情を浮かべた歩美に、彼は慌てて笑みを見せた。
「何でもないよ。それで、何だっけ?」
すると、歩美は頬を染めた。その反応の理由がわからず、今度はコナンが首を傾げる。
「あのね、今日博士の家に来れないかなぁって思って」
「博士の家に?」
「うん、学校終わったらすぐに。いい?」
上目遣いで顔の前に手を合わせるその仕草は、小学一年生の江戸川コナンが本当に居たとしたら、惚れていたかもしれないと思うほどだ。
限られた時間しか一緒に居る事が許されないのだから、せめてと思う。
「いいよ。今日ちょうど博士の家に用事があったしな」
「本当!?」
ぱっと明るくなる歩美の顔に、微かな苦味を混ぜた笑みを返し、頷く。
「じゃあ、約束ね! そ、それと……」
嬉しそうに約束と言った歩美だが、少しずつ元気をなくしていった。
「どうした?」
「あ、あのね、コナン君……」
再度聞き返すと、歩美は重々しい口調で話を始めた。つい先程、飛沫が先生に呼ばれて出て行った廊下に続くドアを、不安げに見つめる。
「あのね……飛沫ちゃんの事、なんだけど……」
言い辛そうに切り出したその名前に、コナンは一瞬背筋を凍らせた。俯く歩美の様子は、いつもにはない深刻さが見える。
「彼女が、どうかしたのか?」
コナンの問いに、歩美は数秒間答えに迷った。
「……こんな事、思っちゃいけないのかも知れないけど。歩美、飛沫ちゃんの事がね、何か怖いの」
「へ?」
当然驚かずに居られない。先程まで、歩美は普通に飛沫と楽しそうに会話をしていた。それが、こんな話を切り出すなんて。
「オメー……紅月と、何かあったのか?」
歩美は、思いつめた顔で首を振った。その要因がコナンにはまだ理解できない。
「じゃあ、一体……」
「歩美自身も、わからないの。でも、お話してても、何か凄く冷たい眼してて……笑ってても、何かいっつも飛沫ちゃんの怖いイメージが消えなくて。それにね、哀ちゃんも飛沫ちゃんが転校してきてから何か変だよ。コナン君も! どうして?」
泣きそうな顔で問う歩美を、コナンは驚きに見開いた眼で見つめた。
(こいつ………気付いてたのか?)
そんな素振りをした覚えなど、コナンには全くなかった。けれども、歩美は話す。
「何度も、そんなこと考えちゃだめだよって自分に言い聞かせたの。飛沫ちゃん、転校してきたばっかで不安な筈だもんって。でも、やっぱり怖くて…………最低だよね、友達の事、そんな風に思うなんて」
歩美の顔が歪む。その様を、コナンは呆然とした瞳で見つめた。
言わない方がいいと思っていた。けれども、もうそういうわけにもいかない。
「そんな事ないさ。……あいつとは、あんまり二人っきりにはなるなよ」
「え?」
涙ぐんだ目が、不思議そうにコナンを見つめた。その視線を、強く受け止めてコナンは彼女を見つめ返す。
「何も心配しなくていいから。オメー等の事は、ちゃんと俺が守ってやるよ」
「…………コナン、君?」
コナンの言葉の意味を理解しきれず、彼女の声は弱く震えた。するとその揺れる瞳に、今度は頼りになる笑みが映った。
「だから、もし何かあったら、すぐ俺に言えよ!」
両肩を力強く抑えると、次第に彼女の震えは消え、顔にもコナン同様の笑顔が浮かぶ。
「うんっ!」
と、そう答えた時には、歩美の顔は、完全に明るい彼女らしさが戻っていた。
なんとしても守りたい大切なものを、絶対に奪わせはしないという誓いが、コナンの中に深く広がってゆく。
この時俺は…絶対になんとしても、関係ないこいつ等の事は守ってやると誓った。
無邪気な笑顔を……奴等に奪わせはしないと………そう心に決めた。
学校が終わり、家の戸を開けた瞬間に、突然クラッカーの音が響いた。
さすがに驚き、ぺたん、と玄関にしりもちをついたコナンの上に、クラッカーの紙ふぶきがふわりと着地した。
「コナン君、お誕生日おめでとう!」
その目の前で微笑む蘭の顔を見て、初めてコナンはその特別な日の意味を知った。同時に、歩美が自分を呼んだ時の態度も。
(そうか。それで歩美のヤツ……)
学校で頬を染めて話しかけてきた歩美は、ずっとそれを計画していたのだ。自分が忘れているからこそ、そこまでしてくれる周りが愛しい。
「ありがとう、蘭姉ちゃん」
自然と出来た笑顔で、コナンは蘭に礼を言った。どういたしまして、と笑った蘭は、可愛らしくラッピングされた袋を取り出した。
「はいっ、これ私からのプレゼント!」
渡された袋の中には、日本代表選手のサイン入りサッカーボールが入れられていた。
宛名まで付いているボールをどうやって手に入れたのやら、と彼の顔には照れ笑いも浮かんだ。
「有難う! すごく嬉しいよ蘭姉ちゃん!!」
「そう? 気に入ってくれて嬉しいわ。コナン君、何かずっと考え事してたみたいだから。久しぶりに、楽しく笑ってる顔見せてくれたね!」
軽く、ボールを膝で弄ぶコナンを、蘭は暖かな目で見つめていた。
子供のフリをして答えたとしても、それは全て真実だ。彼女のそんな態度が、コナンに何度でも勇気を与えた。
(……負けねぇからな、蘭。オメーの笑顔がある限りは……いつか必ず、全てを終わらせてオメーの元に。)
「でも、新一今どこで何やってるんだろう。今日ね、アイツも誕生日なの。だからプレゼント用意したんだけど……」
切なく呟いた蘭の顔を、目を丸くして見上げた。そして、ふっと笑う。
「じゃあ、そのプレゼント貸して。阿笠博士なら新一兄ちゃんに届けてくれる筈だから。僕、ちょうど博士の家に行く用事があったんだ!」
子供っぽく話すコナンに、蘭は嬉しそうにそれを渡した。
「じゃあ、お願いしちゃおっかな!」
「うん」
蘭から渡されたプレゼントを持って、コナンは博士の家へと向かった。
今度は、探偵団達に祝われる事を頭に浮かべて。
――多分、博士の家でも同じような事が待っているんだろうな。
突然戸を開けた瞬間に鳴り響くクラッカー。歩美や元太や光彦の「誕生日おめでとう」って言う明るい声。目を瞑っても、容易に思い浮かぶ。
そしたら、驚いたフリしてやるか……。
あ、それから。後で蘭に電話しといてやらなきゃな……
工藤新一として、せめて電話で礼言っといてやらねえと……
ありがとな、だけじゃなくて、何て言ってやろうか………
今の、こんなぎりぎりの状況を束の間忘れて、蘭からもらった工藤新一へのプレゼントを大事に抱え込み……
歩美達と約束した、阿笠博士の家まで、あともう少し。
そう、行ける筈だった。いつも通りなんて事はない、この曲がり角を曲がれば……
皆が待っている、阿笠博士の家に…………
ドカッ……!!!!
鈍い音が、その場に響いた。と、同時に、視界が暗くなり、コナンは冷たい地面に倒れこんだ。
「誕生日おめでとう!!」と声を上げて迎えようとしていた皆の顔を、頭の中に、描きながら…………
その場に残った血痕と彼女の想いのつまったプレゼントは、取り残された寂しい静けさの中で……彼がさっきまで確かにここにいたのだという痕跡を、主張していた。
作者あとがき〜〜♪♪