000.誕生

 

 

 

 

 

ーーキミが生まれるその前から、キミのことを待っていた

 

 

 

 

 

静寂を打ち破るように、産声をあげた。

 

 

 

元気な男の子ですよ、と笑顔で看護師は言った。

 

 

 

まだ、この世の悪を知らない、”真っ白”な存在。

 

この先に起こることなど知るよしもない”真っ白”なココロ。

 

 

 

疲れていたが、母親ーーー有希子はどうしても早く我が子の顔が見たかった。

 

誰よりも、何よりも先に、まだ何も知らない我が子に、母の存在を知らせたかった。

 

初めて自分の子となる我が子と言葉を告げる暇もなく、母親はただ微笑み眠りについた。

 

 

 

そんな妻の様子をみて、父親ーーー優作も微笑んだ。

 

 

 

 

 

今日から自分たちが、この子の親となる。

 

 

 

 

 

 

 

生まれてきた子は、”新一”と名付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

この世に生を受けた、初めての夜。

 

”新一”と名付けられた子は、周りを観察するかのようにキョロキョロと辺りを見回している。

 

初めてみるものだらけだった。

 

この世のものすべてが真新しい。

 

考える暇もなく、好奇心は溢れていく。

 

その子の未来を見通すかのように、月明かりが”新一”のもとへ真っ直ぐと射していた。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

同じ時刻の病院内。月が綺麗な夜だった。

 

 

 

有希子のベッドの隣に、有希子にも負けない美貌をもった女性がいた。

 

ほっそりとした体つきだが、顔の方はクールな美貌を放っている。

 

長く繊細な髪は、その女性の美しさをさらに引き立たせていた。

 

その女性も、つい何時間前の有希子と同じくらいお腹が大きい。

 

この女性も、もうすぐ出産を迎える。

 

有希子より予定日は1週間ぐらい遅い。

 

 

 

漆黒に近い室内に、月明かりが射し込む。

 

そのまばゆいばかりの輝きによって、今まで見えなかった室内が見える。

 

有希子も、女性も、まだ眠ってはいなかった。

 

いや、眠れないのだ。

 

カーテン越しに見える影によって、互いが起きていることに気がつく。

 

カーテンを開け、最初に話し掛けたのは有希子だった。

 

 

 

「この月明かり、新一も見ているのかしら」

 

「あら、もう名前決めたの?早いわね」

 

「えぇ、前から決めてたの。この子が男の子だと知ってからつけた名前。英理ちゃんは?」

 

 

 

女性ーーー英理は、躊躇しつつも言葉を発した。

 

 

 

「それがね・・・あの人、名前考えてるんだけど、全部アイドルの名前ばっかり。女の子の名前だからって・・・」

 

「小五郎君らしいわね」

 

「あの人らしいって言ったらそれまでだけど・・・・でも、普通名前にはこだわるでしょ?ましてや、自分の娘の名前なんだから

 

「そういう英理ちゃんはなにか考えてる?名前ーーーー」

 

 

 

「蘭ーーー」

 

 

 

 

 

有希子の言葉を遮りつつも、遠慮がちに英理は言った。

 

月明かりに照らされた英理の横顔は、切なくも微笑んでいるようにも見える。

 

一瞬固まった有希子だったが、次の瞬間彼女の顔から笑みがこぼれた。

 

 

 

「いいじゃない、その名前」

 

「私にしては意外な名前だった?」

 

「ちょっと。ランって、花の”蘭”から来てるの?」

 

「えぇ、そうよ」

 

「そしたらますます意外。だって、”蘭”の花言葉は、美人でしょ?」

 

 

 

話し声しか聞こえなかった室内に、英理の笑い声が響いた。

 

この室内が、5つベッドがあるにもかかわらず、英理と有希子しかこの部屋にいなかったことは幸いだろう。

 

 

 

「どうしたの、英理ちゃん?」

 

「あっ、ごめんなさい。確かに蘭を全般的にさす花言葉は”美人”だけど、種類によって花言葉が変わるの」

 

「じゃあ、英理ちゃんが”蘭”って名前に込めた意味って・・・?」

 

「それはね」

 

 

 

躊躇とは違う微妙な間の開け方。

 

それは、大切な娘の為に考えた名前の由来を告げるのを惜しんでいるかのようだった。

 

少し早い”母親”の優しさを兼ねた笑みを浮かべ、英理は言う。

 

 

 

「純粋な愛。白い蘭の花言葉よ」

 

 

 

「純粋な愛、ね」

 

 

 

悪戯な笑みを浮かべ、意味ありげに有希子は言った。

 

 

 

「その”蘭”ちゃんは、どんな人と結ばれるのかしらね」

 

「さぁ?少なくとも、あの人みたいな人じゃないことを願うけど。」

 

「まったぁ!英理ちゃん、本当はすごく小五郎君のことが好きなくせにそんなこと言っちゃって!」

 

「ちっ、違うわよ、あの人とはただの腐れ縁で・・・・」

 

 

 

口では否定しつつも、英理の頬はほのかな光でも分かるほど赤く染まっていた。

 

有希子の方はというと、小五郎の名前が出たことにより、疑問が生じたようだった。

 

 

 

「そういえば・・・この名前のこと、小五郎君には言ったの?」

 

「ええ、言ったわ・・・」

 

 

 

少し伏目がちに言う英理が心配になって、有希子は思い切って聞いてみた。

 

 

 

「まさか・・・小五郎君、なかなか許してくれないの?」

 

 

 

すると、英理は首を軽く横に振り言った。

 

 

 

「その逆よ。私も、最初反対されると思った。あの人、アイドルの名前ばっかりだったけど、結構真剣に考えてたみたいだから・・・

 

けどね、あの人はこう言ったの。”いいんじゃないのか、英理にしては”って。あの人は。英理にしては、ってどういう意味よ、って思ったけど、でもあの日なりの素直じゃない優しさだったのね、きっと」

 

 

 

その言葉を聞いた途端、英理が伏目がちになった理由を察した。

 

あれは、悲しみを表したのではなく、照れを表したのではないかと。

 

案の定、さっき赤く染まった頬は、季節外れの紅葉のようだ。

 

 

 

「へーっ、それでますます惚れ直したのね」

 

「だから、そんなのじゃないって言ってるでしょ。・・・・・・ただあの人の優しさを感じた、それだけよ」

 

「小五郎君なら、きっと英理ちゃんと生まれてくる”蘭”ちゃんのことを大切にしてくれるはずよ」

 

「あのぐうたら亭主がすぐに変われるかしらね」

 

「ううん、変わらなくてもいいのよ。普段はそうかもしれないけど、いざというとき、英理と”蘭”ちゃんを守ってくれる。小五郎君はそんな人よ。それは、英理ちゃんが一番分かってるんじゃないの?」

 

「まぁそうね。あの人とは、切ってもきれない腐れ縁で結ばれているんだから」

 

 

 

室内を照らす月の光よりはるかに綺麗な瞳で、英理は微笑んだ。

 

 

 

 

 

****

 

初めて我が息子に会ったときはあまり気づかなかったが、この子は本当に好奇心が強い。

 

それは、彼が生まれて5日後のことだった。

 

有希子がたまたま持っていっていた、優作の推理小説を見るやいなや、”新一”はそれを掴もうとする。

 

まだこんな赤子が読めるはずもないと思ったが、この子はきっと自分のお父さんがどんなことをしているのか知りたがっているのかもしれないという思いが浮かび、その本を”新一”に渡したーーーと言っても、片手で有希子は本を支えている。まだ生まれたばかりの小さな手では、その大きな本を支えきれないからだ。

 

字が読めないはずだが、”新一”は、ずっと本を観察している。

 

表紙だけをみて、何か楽しいことでもあるのだろうか?と有希子は疑問に思う。

 

表紙も、可愛いイラストが描かれているわけではない。背表紙も普通だ。

 

一つだけ変わったところがあるとすれば、タイトルだ。

 

優作書いた本のタイトルは、この話の鍵を握ることになる。

 

それだけに、タイトルアートも少々凝ったものになっていた。

 

もしかするとこの子は・・・・

 

 

 

「まさかね・・・・」

 

 

 

自分でその考えを否定する。そうよ、いくら自慢の我が子でも、まだ赤ちゃんなんだし・・・。

 

そうは思うが、有希子は”新一”に強い力を感じた。

 

 

 

 

 

「有希ちゃん、赤ちゃんの調子はどう?」

 

 

 

有希子が考えに浸っている中、英理の声で自問自答の思考から開放される。

 

英理は、もうすぐ出産が近く、安静にしている方がいいのだが、有希子のことを心配し、ちょくちょく様子を見に来ていた。

 

英理が、”新一”と対面するのは、3,4回目ぐらいだ。

 

英理が来ると、”新一”は何故か嬉しそうに微笑む。

 

それは、例外なしに、今まで出会った3,4回ーーー初対面のときも、微笑んでいた。

 

 

 

「あら、新ちゃん、また喜んでる。英理ちゃんのことが気になるのかしら?」

 

「違うわよ。きっと、私のお腹の中の子を待っているのよ、この子は」

 

「新ちゃんったら、生まれる前から”蘭”ちゃんに恋をしているのね」

 

「初恋がずいぶんと早いわね」

 

「ホントね」

 

 

 

英理は、お腹を優しくなでながら、その中にいる我が子に話し掛けた。

 

 

 

「”蘭”、この子があなたの誕生を待っている一人の”新一”君よ」

 

 

 

それを察したのか、”新一”は声をあげた。

 

それはまるで、まだ見ぬ”蘭”への初めて生まれたこの思いを告げるかのように。

 

 

 

もしかしたら、それを”蘭”の方も察したのかもしれない。

 

 

 

英理が突然、座り込んだ。

 

座りこんだという優しいものではない。お腹を抑え、苦しんでいる。

 

 

 

「英理ちゃん、もしかして・・・」

 

「ええ・・・・きた・・・みたい・・・・」

 

 

 

声を出すのがやっとという感じだ。

 

状況を察した有希子は、”新一”をベッドに置き、近くにいた看護師の人に事情を知らせた。

 

 

 

英理は、すぐさま分娩室へと移された。

 

 

 

有希子の手によって、小五郎へとそのことは知らされた。

 

今日はあいにく職務中だったが、上司に頼み込んだらしい。

 

息を切らせながら、病院内へと入っていく。

 

途中、有希子と合流し、英理の状況を聞いた。

 

有希子は、分娩室に入るように進めたが、小五郎はかたくなに拒否した。

 

 

 

「誰よりも気が強いあいつのことだ。変にあいつのプライドを傷つけることはしたくねーよ」

 

 

 

とのことだった。

 

それは、誰よりも英理のことを知っている小五郎だからこその判断だった。

 

その言葉に納得したのか、それ以上有希子は言うことはなかった。

 

 

 

だが、やっぱり心配は隠せない。

 

何度も何度も同じところを歩いている。座って落ち着いてはいられないようだ。

 

 

 

 

 

ベッドの中にいる”新一”も、なにやら落ち着きのない様子だった。

 

さっきまで興味をしめしていたあらゆるものも、目に入らないといわんばかりに、もうすぐ生まれるであろう”蘭”がいる部屋の方向をじっと見ていた。

 

そして、その不安を表すかのように、”新一”は出せる限りの声で鳴いた。

 

早く逢いたい、早く声を聞きたい、早く自分の声を聞かせたい・・・・

 

まだ成長しきれてないそのココロの中、必死にまだ見ぬ“蘭”を求めていた。

 

 

 

―――らん!!!!

 

 

 

まだ覚えてもない言葉で、声にならない言葉で、“新一”はずっと願っていた。

 

“蘭”の無事を。この世に生を受け、自分と出会う“蘭”を、ずっと待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「(蘭、早くこの世界に顔を出して!お母さんとお父さんに顔をみせて!

 

  私は、ずっとあなたのことを待っているのよ!)」

 

 

 

「(英理………お前は一人じゃない。オレと、お腹の中の“蘭”がいる…)」

 

 

 

「(英理ちゃん、頑張って。私も、そして新ちゃんも、“蘭”ちゃんの誕生を待ってるのよ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それぞれの思いが交差した

 

 

 

それぞれが、まだみぬ“蘭”のことを思い、それが一つに重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静寂が破られたのは、その瞬間だった。

 

 

 

母親に守られてたその体が、この世の外気に触れる。

 

 

 

少し肌寒い、その空気。

 

 

 

それとは正反対に、温かい“何か”を感じた。

 

生まれたばかりの“蘭”には、その“何か”が分からない。

 

けれど……

 

とてもほっとする。お母さんのお腹の中よりも、温かい。

 

 

 

自分の誕生を待ってくれた人達に、最初の挨拶をかわすため、“蘭”は肺いっぱい空気を吸い込み、そして産声をあげた。

 

 

 

 

 

「英理!!」

 

「あなた……」

 

「英理、よく頑張ったな…」

 

 

 

真っ先に駆けつけたのは、小五郎だった。

 

有希子は、せっかくの二人の感動の瞬間を邪魔しないようにと、心配ではあったがこの病室の近くを去り、“新一”の元へと向かった。

 

 

 

「新ちゃん、今“蘭”ちゃんが生まれたわよ」

 

 

 

それを聞くやいなや、“新一”は急におとなしくなり、そして有希子が初めてみるような眩しい笑顔を見せた。

 

 

 

“新一”は、ココロから“蘭”の誕生を喜んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****

 

2日後、小五郎と英理以外で、“蘭”に対面したのは有希子だった。

 

 

 

「可愛い!こんな可愛い子が、新ちゃんのお嫁さんになってくれたらなぁ」

 

「有紀ちゃん!まだ早いわよ!」

 

「有紀ちゃんの頼みって言っても、これだけは許せないな。オレの可愛い娘を早々と嫁に出せるかっての!第一な、この“蘭”はなぁ……」

 

 

 

小五郎の娘自慢をよそに、英理と有希子は、あるところへ向かっていた。

 

 

 

“新一”のところだ。

 

 

 

彼も、“蘭”の誕生を切実に待っていた一人。

 

今日が、初対面となる。

 

 

 

「新ちゃん、“蘭”ちゃんが来たわよ!」

 

 

 

すると、“新一”は待ち遠しいと言わんばかりに、手足をばたばたさせた。

 

いよいよ、二人は、対面する。

 

 

 

 

 

「“新一君”、この子が私の娘、“蘭”よ。よろしく」

 

 

 

 

 

その声は、“新一”の耳に入らなかった。

 

“新一”は、ずっと“蘭”のことを見ていた。

 

 

 

初めての対面

 

 

 

でも、なんか初めてという感じがしなかった。

 

 

 

―――ずっと、あなたが待ってくれていたから

 

 

 

これから先に起こる二人の未来など知らず、二人はただ微笑んでいた。

 

 

 

 

 

それが、最初の挨拶。

 

 

 

言葉もない、何も知らない状態での挨拶。

 

 

 

 

 

 

 

この時から、二人の未来は動き始めたーーーーー

 

 

 

 

 

〜Fin 〜