――その日、海賊船ゴーイングメリー号は大きく軋み、揺れた。

 

 


絆〜泡沫夢幻と、確かなモノ〜

 

第一話

 

 

「いっでえェェェーーー!」

 

 船尾に吹っ飛んだルフィは、手すりを破り、海に落ちた。同時に、手足をばたつかせて小さな水飛沫をあげる。沈みそうになる体を必死で浮上させながら、船に向けて手を伸ばす。

 

「ちょっ、うぉっ! がぼっ! ぐはっ……げぼっ!」

「何やってんのよ、ルフィ」

 

 ナミの呆れ声が、船の上から聞こえて来る。面倒くさげに頭をかきながら、ゾロは壊れた手すりから顔を出した。

 

「――ったく、何やってんだバカ船長」

「い、いい゛がら、はやぐ、だずげろォー!!!」

「あぁ、ホラよ!」

 

 やる気なく出された手に、無我夢中で掴まったルフィは引き上げられた。

 船の上で、噴水のように口から水を噴出しながら、起き上がる。

「死ぬかと思っだー」等とガラガラ声で言った彼は、ずれた麦わら帽子を被りなおした。

 

「で? 何でメリーの頭に乗ってた筈のオメーが、船尾から落水してんだよ」

 

 不満をむき出しにした口調で問いかけてきたゾロを、ルフィは呼吸を整えながら見上げた。

 

「いやァ……なんかずーっとついてきてる海王類がいるから、とっつかまえてやろうと思ってな? そしたらよー、」

「大方、勢い余って逆に吹っ飛ばされたとか言うオチか?」

「うん、せーかい!」

 

 ししし、と歯を出して笑うその顔に、微かな苦味が混じる。ゾロはたれた頭を抱えながら、盛大に呆れ返った嘆息を漏らした。

 

「毎度それに付き合わされる身にもなってみろっつーんだよ……」

「いーじゃんか、結局いつも助かってんだから」

「よくねーよ!」

 

 カラカラ笑うルフィに、つい怒鳴り声で突っ込みを入れてしまう。

 悪魔の実で泳げない体が唯一の弱点である筈の船長は、全く自分の立場を理解してはいない。だから、無駄に落ちておぼれる機会を作ってしまうのだ。

 

「全く、二人共……」

「あ?」

 

 後ろから、更に呆れ声が届いて、ゾロは苦虫を噛み潰したような顔で振り向いた。腕組をしたナミが、そこから現れる。

 

「あのねぇ。ルフィもゾロも、私達にかけてる迷惑は似たようなものよ。後先考えられない暴走大食い船長と、行く先々で迷子の剣士……迷惑料一回一万ベリー取りたいところね」

 

 ナミの言葉に、ルフィとゾロは二人揃ってむっと下唇を持ち上げた。だが、反論しようと口を開きかけた所を、デッキから顔を出した金髪の大声に阻まれた。

 

「んナミすわァーんっ! そんなアホマリモに構ってないで、ロビンちゃんと一緒にこっちでおれ特製のスペシャルパフェ食べてー!」

「はいはい、すぐ行くわ。じゃあね、お二人さん」

 

 ナミはひらひら手を振って、サンジの元へと向かう。そんな後姿を、ルフィが黙って見送る……筈などなかった。

 

「ちょ、ちょっと待て! ずりーぞナミ! サンジー! おれの分も!」

「バーカ。これはおれがナミさんとロビンちゃんの為に特別に作ったおやつだっていつも言ってんだろ」

「じゃあ、おれには肉よこせ。にぐー!!」

 

 ルフィのお決まりの叫びに、サンジは危うく手すりから滑り落ちそうになった。すかさず顔を上げ、青筋立てて叫ぶ。

 

「おまっ、つい一時間前に、三十人分の骨付き肉平らげたの忘れたか!」

「あんなんでたりるかァーっ!」

「アホか! 足りろよ!」

 

 ノリで突っ込むものの、あの量が実際どうやってルフィの細身な体に消化され、吸収されているのか、サンジには不思議で仕方がない。根負けしたサンジは頭を肩を落とし、煙草をくわえた。

 

「……判ったよ。ナミさんとロビンちゃんの余りもんでデザートでも作ってやるから、ちょっと待ってろ!」

「おー! サンキュー、サンジ!」

 

 顔いっぱいに笑みを浮かべたルフィを視界に納めてから、サンジはキッチンへと消えた。

 

「よォーし、おやつだ! ……あれ、ゾロ?」

 

 両手を高く上げ、明るい声を上げたルフィは、きょとんとして周りを見回した。そして、いつの間に座って眠っているゾロの姿を見るなり、肩を落とす。

 

「まーた寝てんのかよ。ゾロ」

 

 サンジのデザートが出来るまでの間、暇つぶしに構ってもらうあてが外れ、ルフィは不満げに船内に入っていった。

 

「おーい、チョッパー! ウソップー!」

 

 別の遊び相手を見つけるべく、大声で呼ぶものの、二人はすっかり自分達の作業に夢中らしい。

 

「サンジ! あと何分だー?」

「もーちょっと待て! 腹持ちのいいもん作ってやっから」

 

 体よく追い返されたルフィは、つまらなそうにメリーの頭に座った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ルフィ、出来たぞ!」

 

 大盛りの鮮やかなデザートが入ったグラスを手にして、サンジはキッチンから顔を出した。普通より少し大きめ程度の声だが、船内のどこに居ても、彼がそれを聞き逃す筈はない。

 十数秒待って、サンジは首を傾げた。飛んでくると思っていたルフィが、姿を見せないどころか声も気配も感じさせない。

 

「おーい、ルフィ? 食いたかったんだろ。作ってやったからさっさと来い!」

 

 今度は先ほどより声を張り上げてみた。だが、やはり返答はない。

 

「珍しいわね、船長さんが食べ物の事で飛んでこないなんて」

「あ、ロビンちゅわーん!」

 

 いつの間に隣に立っていたロビンに、サンジは僅かに表情を緩め、鼻の下を伸ばした。そして、ナミもまたロビンの後ろからひょこりと顔を出す。

 

「ルフィなら、さっきメリーの頭に座ってたんだけど……後部甲板の方に行っちゃったわよ」

「あのクソ船長が……」

 

 拍子抜けしつつも、折角作ったデザートが生ぬるくなる前に食べてもらわねば――と、料理人の意地も同時に湧き上がった。

 

 ――だが、後部甲板に辿り着くなり、サンジは再び首を捻る。

 

 そこに堂々と座り眠っているゾロを見るなり、サンジのこめかみに青筋が走った。

 

「……おい、起きろクソマリモ!!」

 

 カツカツと無言で歩み寄り、とりあえずその右肩から思い切り蹴飛ばした。

 当然ながら、ゾロも飛び起きて怒りを顔の全面に移した。

 

「テメー……いきなり何しやがる!」

「ルフィがここに来ただろうが」

「あー? 知らねェよ。今寝てたのが見えなかったか?」

 

 不機嫌モード全開でサンジの襟を掴み、低い声で彼は答えた。サンジの眉間に深い皺が刻み込まれる。

 

「離せ。お前こそ左手が見えねェか? 船長命令で作ったデザートが落ちたらどうする」

 

 一瞬、ゾロの目が半眼に変わる。彼は呆れたように頭をかきむしりながら、サンジから手を離した。

 

「ルフィが烈火の如く怒るだろうな。……アホらしい。そんなもんがあるなら、おれを起こさずとも大声で呼べば解決すんじゃねェか」

「だーかーらァ! さっきからそうしてるけど出て来ねーんだって!」

「あ? アイツが食べ物に飛んでこない事なんかあんのかよ」

「だから、探し回ってんだろ!」

 

 じれったさに、サンジの口調が思わず荒くなる。だが、よくよく考えても、確かにゾロの言う通り、こんな事は天地が逆さになろうとも考えられない。

 

「まあ、居ねェなら居ねェでいいさ。今日の夜までに腹空かしておいてもらわないと困るしな」

「……夜? なんだ、なんかあんのか?」

 

 怪訝そうに顔を顰めたゾロに、サンジは勝ち誇った笑みを向けた。

 

「クソマリモと違って、俺は船員の事を徹底的に調べ上げてるからな。ディナーは奴にとっておきをくれてやるんだ。……だから」

 

 そこまで言った後で、サンジはゾロにデザートを手渡した。

 

「生ぬるくなるぐらいなら、それはお前が食っちまえ!」

 

 渋い顔で受け取ったゾロを一瞥する。サンジはようやく空いた左手で煙草を取り出すと、口にくわえ火をつけた。

 ルフィが居ないと判った以上、後部甲板には用がない。彼はゾロに背を向け、キッチンへと昼食の準備と、夕食の仕込みに向かった。

 

 

 

 ――違和感に襲われながらも、その船のあまりの静けさに誰一人気づいては居なかった。

 

 そう、昼食時間になっても、ルフィがテーブルの前に現れない前代未聞の事件が起こるまでは。




〜第2話へ続く〜