「あ、灰原さん。すみません僕ちょっとトイレに」

 勉強会の準備中早々、彼はノートのみを机に残して席を立った。
 そんな後姿を見つめながら、取り残されてしまった事に不満を感じた。
 彼から誘われた勉強会。始める前にぽっかり1〜2分空いてしまうとは、突然訪れた退屈な時間に、机を前にして小さくため息をついた。
 そしてそんなどうしようもない退屈心は、すぐに残されたノートへ向かった。

 小学生ながら几帳面な彼のノート。
 悪趣味とも思いつつ、少々興味があった。
 人としてと一瞬迷ったが、すぐにノートを手に取った。
 会う前にトイレを済ませて置かず席を立った彼が悪い。そんな解釈の元。

「一体、どんなノートかしら?」

 ぴらり、とページを開いた。同時に、現れたその落書きのようなページに固まった。




「みつあい……って何?」

 ついつい、そう呟かずにはいられなかった。
 そして、それがどうして『彼と自分の日』になるのかどうしても判らない。
 3月21日……まぁ、確かに『みつあい』とは語呂合わせ出来るが。
 じっと眺めて考えていると、トイレから戻った彼がこの光景に声をあげた。

「あぁぁーっっ! ははは、灰原さんっ?」

 凄く慌てた様子で、歩いても数秒とかからないキョリを走ってきた彼は、あっという間にそのノートをこの手から奪いとった。
 酷く動揺している様子で、はぁはぁとムダに早い呼吸をしながら、顔を真っ赤にしながらノートをぎゅっと抱きしめている。

「……円谷君?」

 そんな彼の後姿に声をかけると、彼はびくりと肩を震わせた。
 恐る恐る振り向いた彼の顔は、ひきつって青ざめている。

「は、灰原さん……これ、見ちゃいましたか?」

 そう尋ねられて、クールに「ええ」と答えると、彼は一瞬で石になった。
 顔を真っ赤に染めながら、「え、ええと……」と視線を泳がせて。
 動揺しているのが凄く伝わる仕草のまま、彼は隣に座った。

「その……これは、ですねぇ」

 中々切り出せない彼に、「どういう意味なの?」と更に追及をかける。
 よほど冷たく感じたのだろう。彼の顔は更に引きつり泣きそうになった。
 別に、怒ってるわけではないが、落ち着きがない彼がなんだか少し可愛く感じて、少しいじめたくなった。

「あ、あの…ですからカレンダー見てたら思いついてしまって、その」
「何?」
「えーと、3月、21日で、3、21みつあいだなーって」
「判るわよ、見れば。で、それが何なの?」

「それが何」と聞かれると、彼は更に言いよどんだ。
 けれど、そんな彼の態度に、判ってしまった気がする。
『みつあい』の意味……。

「円谷君と私の名前ね。だから、二人の日?」
 いい加減可哀想に感じて答えてあげると、彼は一転して頬を染めた。
 青かった顔が、赤くなるのにかかった時間は一瞬だけ。

「は、はい……あの、ですからつまり……」

 赤くなりながら視線を泳がす彼がなんだか可愛らしくて、ついつい、笑みが漏れてしまった。
 あんな暗い組織で毒薬を作っていた私を、彼はこんなにも想ってくれる。
 その彼の気持ちに気づかない程、自分は鈍くはない。

「判ったわ。教科書出すから、勉強会始めましょ」

 そう言って教科書を出しながら、彼をちらりと一瞥する。
 彼はしゅんと肩を下げ、ノートと私の手元を交互に見つめた。
 つくづく、そんな彼は放っておけない……。

「……ねぇ、円谷君」

 彼の顔と向き合う事なく、さりげなく呟いた言葉に、「は、はい。」と答えが返ってくる。先ほどよりも少しトーンの落ちた声。
 横目で見える悲しげな顔に、思わず笑みが浮かんだ。そのまま顔を上げて、今度ははっきり彼を見て言った。

「私、嫌いじゃないわよ。そういうの」

 瞬間、彼の顔が真っ赤に染まったのを見て、内心嬉しく思った。


 ずっとこのまま、変わらず灰原哀としての時間を大切にしていきたい。
 そこに居る出会った人たちとの絆も。全て。そしてこのまだ幼さの残る彼と、ずっと変わらず近くにありたい。


 「今日は私と円谷君の大切な記念日になるのね」



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2007年、光哀の日企画参加作品その2。
素敵な企画をありがとうございましたー!